人はなぜ生きるのか

日経夕刊のコラム「あすへの話題」(10月5日付)で、荻野アンナさんが自身の大学での授業で出した課題について書いていた。課題は、「人はなぜ生きるのか」。印象に残っているので、以下に一部引用します。

現在、答案をめくっている。「生きる」とは「人格、尊厳、価値を保ち、自身の存在を確かめる」。「死にたくない」。「幸せになりたい」。「生きた証を後世に残す」。
それが人の義務だから」と書いたのは医学部の学生で、実は私の意見でもある。呼吸困難でさんざんな状態でも、父は自分が「オッケー」だという。食事ができなくても、アロマを楽しみ花を愛でる。
生れた以上は、生き抜くように出来ている、と父の全身が訴えていた。

荻野さんのお父上は肺炎で3か月入院し、完治しないまま低め安定キープを今後の課題として退院したそう。私の父も、現在後遺症との闘いの真っ最中。視力の問題、嚥下障害、主に左半身の麻痺、などがあり、リハビリに取り組んでいますが、母から聞く話だと精神的な波がかなりある様子。父がどんな状態になろうと家族は全て受け入れられるものだというのはこういう状況になって初めて認識しましたが、本人は自分のことを「オッケー」と言えるのだろうか、そんなことを考えてしまいます。
来週金曜日から10日ほど、帰省し父に会ってくる予定です。